新たな欲情
今は、バイト先のある女の子のことしか考えれない。
今まで僕は容姿だけで女の子を判断していたが、今回はいつもと違い、様々な感覚において僕は彼女に惹かれているようだ。
バイトの業務上、決して頻繁に顔をまじまじと合わせることはないのだが、
背中越しに聴こえる品のある優しい声と、
彼女の付けている香水の鋭さを含む甘い香りで、
僕は欲情しているのだ。
今までも女性の声、香りは好きだったが、
それらが視覚情報に先行して僕を誘惑する、というのは初めてであり、とても新鮮だ。
確かに僕は今まで、このような恋愛を含む大切なことで、
視覚に頼り過ぎていたのかもしれない。
言うまでも無く、視覚とは人間の五感(一説によると六感?)のうちの一つに過ぎないし、一つを重視するあまり他を疎かにするというのは、いささか損している気がしてきた。
とりあえず僕は、今までとは違ったプロセスで欲情しており、
恥ずかしいことだが、彼女を思うあまり夜も眠れなくなってきたので、
ここらで男らしくアプローチをするつもりだ。
検討を、祈ってね!
作家になりたい
僕は作家になりたくなった。
自由になりたいのです。
バイトをしてよくわかったけど、
どれだけ好きなことを仕事にしていても、仕事は顧客の為でも無く、もちろん自分の為でも無く、会社の為にこそ、働かないといけないことを知った。
ありふれた言葉だが、人生はすぐに終わるのだ。
他人の為に自分の身を捧げるのは、自分に見切りを付けてからで良いのでは無いか。
その他人がよく知らない人なら、尚更自分を捧げる道理は無いではないか。
これまでも作家という職業に仄かな憧れはもっていたが、今の自分では話の材料も無いし、作文技術も未熟過ぎるだろうと考えていた。
もっと経験を積んだ会社員になってからでも遅くは無いだろうと思っていた。
しかしよく考えてみると、本を書く力は、本を書くことでしか鍛えられない筈だ。
別に人から習いたいとは思はないが、自分の考えを、自分の好きな文体で、思う存分書く練習は、多分必要だと思う。
だから、これからはここに存分に書くことで練習していきます。
ということで僕が作家を目指す宣言を無事に終えたところで、そろそろ本題へ移ろうと思うのだが、
これからの時代の作家とは、どのようなものだ?
悲しみ
楽しみとはなんなのか?
本当に僕は、心から楽しんだはあるのか?
常に付きまとう孤独が目の端に映った時、
僕はいつもの場所に引き戻される。
賜った生に果たして安息は訪れるのか?
否、否、否。
炎
かつての幾筋にも走った炎は、緩やかな風に紛れ音もなく消えた。
残ったのは、蝋の剥がれた糸屑のみで、もはや灰にもなれず、過去の熱に浸る他に無し。
ブログ、再開します♩
僕は、文字に起こしてしか自分を整理出来ないようだ。
文字で書くことで、脳にかかるモヤを少し探ることが出来ているのだろうか?
僕の実感としては、むしろ書くという行為によって、自分のなかで新たな価値体系を創造しているような気もする。
僕には行動や背中で人に語ることは出来ないし、弁が立つわけでもない。
絵や音楽などの芸術に秀でている訳でもない。
なのになお、自己表現への渇望の炎が僕の中で確かに燃え上がっている。
なるほど、だったら書くしかない。
人が見ている、見ていないの問題ではないのだ。
書くという行為において自分を表現していく他無いな。
(これからはブログ、きちんと更新します!)
祝 風邪を引きました!! 祝
なんとついに僕が、
人生で初めて
風邪を引きました!!!
どうして僕がこれほど喜んでいるのかというと、こんな忌まわしい言葉があるからでございます。
「阿呆は風邪を引かない」
これには非常に悩まされました。
今まで見事に一度も、風邪を引いたことが無かったため、
やはり僕も随分と気を病んでいたのです。
こんなのただの迷信だよ、と思う人も多いかもしれませんが、
そのような意見というのは余裕のある人間から生まれるのであり、
風邪の経験が無い故、余裕のない僕はこの言葉に振り回されているのです。
また、周りでもやはり、
風邪をよく引く人は、決まって何処か知的なイメージを醸し出しており、
誰の目からも阿呆に映る人達は、
風邪を引く気配など更々無く、
彼らは大概学校、大学共に皆勤なのです。
(「お前らが皆勤でどうすんだ!!」
っと、思わず叫びたくなりますが。)
ですから、僕もそちら側の人間なのかと悲しみに暮れたことも多々あるのですが、
でも希望はまだありました。
というのは、
「阿呆は風邪を引かない」
からといって、
「風邪を引かないから = 阿呆である」
ということにはならないからであります。
だから僕は自分も「阿呆」では無いと信じ、
それほど気にせずともじきに僕は風邪になるだろうし、ならなくとも健康であるだけさ、と言い聞かせてはいました。
しかしやはり、周りの皆がその「証明」を手に入れて行く中で、
(驚くべきことに、早い者ならそれを幼児の間に取得する)
21年間も待たされた僕の精神は次第に蝕まれていき、
しかし友人等に僕が未経験だなんて、もちろん言うことも出来ず、
ただただ孤独だったのです。
しかしそんな日常との別れは突然訪れ、本日僕は、「証明」を手に入れました。
はい、僕は阿呆でも馬鹿でも無いのです。
もちろん、だからと言って「天才」でない可能性があることも重々承知しております。
しかし、今はとりあえず
この余韻に存分に浸ることを
お許しください。
だって、約20年もの間、僕は孤独だったのですよ!?!?
この絶望に満ちた時間がどれほど長く、苦しく、僕という人間を変えてしまったのか、
あなたには分からないでしょうね!!!
しかもこれが五倍続けば、『100年の孤独』ですよ!?!?
お分かりいただけたでしょうか。
いえ、解れば良いのです、許しましょう。
なんせ僕は今一番気分が良いですから。
ではこれでおさらばさせて頂きます。
嗚呼 、 なんて世界は美しいんだ