我が麗しの古都 京都
京都が好きだ。
京都に住みたい。
以前より少しずつ湧き上がっていた京都への想いがここ数日あまりにも過激なものとなってしまったため、これは危険だと思い、少し文字に表して熱を下げさせて頂きたく候。
とりあえず今日は京都が排他的であると言われていることについて僕の考察を書いて行こうと思います。
単刀直入に申しますと、京都を排他的であると文句を言っている人は、もっと京都を理解し、愛して頂きたい。
というか、そんなことに不平不満を漏らしている人は、結局は阿呆か京都を心から愛せていない人なのですよ。
まずこう考えましょう。
「京都がなぜ排他的にならなければならなかったのか」
もちろん答えは
「京文化を守るため」ですよ。
これに尽きます。
京都に都を移されてから現在まで1300年の間、時代は激変しています。
その間に日本の文化を激変させる波は何度も来ました。
実際京都以外はほとんどその波に何度も呑まれ、いわゆる近代化をしたのですが、その結果実に多くの都市は似通ったものになりました。
それは少なくない落胆でした。
しかし、近代化及びグローバル化というのは、所詮最先端技術による均一化なのかなと今では思うようになりました。
同じようなことが日本の田舎にも言えると思います。
本当に、日本の田舎ってどこもかしこもAEONで、面白く無いですよ。
しかし、人間の欲望から、利便性を求めるのは普通は仕方のないこと。しかし、京都は利便性を選ばなかった!!
また、あれほどの街は魅力なあまり人が多く集まって、その人々によって古来の文化をカオスにさせられる恐れがあります。
しかし京都人はそれを見事に避けたのです。
そう、排他的となることで。
だから僕にとって京都の人々が排他的であることはむしろ感謝すべきことであると思っています!
(とはいっても僕を受け入れるという例外は誠に大歓迎であります。)
まあ恋の盲目ゆえに多少オーバーなこともある気がしないでも無いですが、御意見は是非受け付けております。
ではまた。