クマの寝床

かつて敗者だった人と、これから敗者となる人に捧ぐ

「進化論」を考えてたら人生の意味見つけちゃった話

 

  まず以下に書くことは深夜にTwitterで思ったことをせっせと書いてたら僕なりに結論に達してしまったので、それをここに貼り付けたものです。

ですので、また後に編集するつもりですが、文脈がグチャグチャになってしまっている可能性がございますので悪しからず、、

ただ、内容には僕的には満足しています!!

 

「進化論」を読んだことはないけれど、、

僕が例えば「頭が良くなりたい」とか、「足が速くなりたい」と望んで勉強や練習に励んでも、僕にはすぐに限界が来るだろうけど、僕の子孫は進化論的にそれを果たすだろう。それまでの子孫も同じことを願う場合に限るけど。

 

そう考えると、今の僕は先祖の人々の望んだものを受け継ぐ結果となって生まれたということになる。先祖の人々は頭脳を求める人もいれば、運動能力等様々なものを望んだから、現に中途半端な存在の「僕」が生まれた。

 

では人間はなにをしたいんだ?はっきり言って先祖代々より一つのことを望む なんて無理だろう。それぞれの時代のニーズとか、その一人一人の環境から。しかしそれでは自由ではあるが目的がわからない。わからない。

 

 「生物には時代ごとの環境に適応するために進化することが必要だと思うけど、進化するにはその個体だけでは限界があるから子孫に託す」というのはわかる。しかしこれでは「自分の血を受け継ぐ存在」がこの地球で残り続けることが目的であるということになる。そんなもんかな?

 

僕は子供もいないしよく分からないが、僕が死ぬというのは非常に悲しい。もし子供が出来、「自分の血を受け継ぐ存在」が現れても、自分が死ぬ怖さは無くならないと思うのだけれど。違うのかな?これに関しては今度子供を持つ人に聞いてみよう。

 

そういえば、中学の地理の先生が「自分の命より子供の方がずっと大切」とか言っていたな。彼はそうらしいけどみんなそうなのか?

 

そう考えると、僕の両親や祖父母はやはり僕に自分達の未来を託しているのかもしれない。僕はあまり親にそこまでの思いを感じていないけれど、親と子の関係性はそういうものなのかもしれない。

しかし例外はある。親が子を殺す事件も、逆のケースに比べると極めて稀ではあるが、無いわけでは無い。とすると、親の子への愛情と委託は全ての親に共通するわけでは無いということになる。これは謎だな。

 

あと気付いたが、「親が子供の進路に反対する心理」というのはここから来るのかもな。つまり、自分の望みを息子に託しているにも関わらず、息子は全く別の方向へ行ってしまい、自分の人生が無駄になるように思えてしまう。環境による影響によって血の命令から背くということだ。

そう考えると、自分の先祖はなにを考えて生きてきたのか、余すとこなく調べてみたいように思えてきた。いやしかし、影響を色濃く受けるのはせいぜいその三代前ぐらいまでだろうか?

あと、僕以外の家系3代分のサンプルが欲しい。

昔の偉人がやりやすそうかな?

 

僕の両親はバンドがきっかけで出会い、結婚した。祖父母は医者と野球選手だ。曽祖父母は分からないけど、軍人と新聞記者だったっけ?いや〜幅広すぎるけど面白い。僕にはどのような「願い」を受け継がれているんだ?

 

このように願いを受け継いでその結果願いに応じて脳や肉体が変化していくのだろう。

よし、この夏の旅に自分の先祖を調べて実際にその地を訪ねてみよう。これは非常に面白そうだ。

 

 自分の両親や祖父母だけでも、なにを遺したかったのか尋ねる必要があるな。それによって自分がなにを受け継いだのかも見えて来るのかもしれない。そして、それらを実行したり、はたまた別の重要なことを見つけて方向転換するのも必要では無いか?

 

ここで大発見

 現在の「僕」を先祖達の終点と考えるのではなく分岐点と考えることで、自分は後世の為に何を遺したいか?そのために何を願うか。これこそが僕が生きる意味であると考えると、非常にしっくりしてきた。

これは僕の中で大発見であり、今日は僕の中で革命が起きた日だ。よし、あとは子供を作らねば!!

結局こんな時間(AM5:00)になってしまったが、夜更かしと引き換えにこんな考えを引き出せるのなら、喜んでこれからも夜更かししたい!!