クマの寝床

かつて敗者だった人と、これから敗者となる人に捧ぐ

TOEIC当日に僕が言いたいこと

  試験とはレントゲンのようなものですと、私は高校の教師によく言われた。確かにそうかもしれない。
レントゲンを受けることで、自分の体の悪いところを明らかにする。
試験を受けることで、自分の勉強が間違っていないのか、確認をする。 

やはり試験はレントゲンのようである。
ではこれを諸事情により拡大解釈してみたい。

  まず、レントゲンとはどういう時に撮るものだろうか?
それは、事故にあった時や身体の何処かに痛みがある時に、骨の異常を確認する為である。
つまり、レントゲンを受けるには、その必要性が前提としてあるべきなのである。

ここで先の話に戻ると 「試験はレントゲン」であるなら、
試験を受ける為にもその前提が無ければならぬ。
しかし、試験を受ける必要性とは何だろうか?

受験の時には勉強が順調に捗っているかの確認の為に試験は確かに必要だ。
大学では単位制なので、学生がきちんと理解しているかの確認の為に試験は確かに必要だ。
(ここでは大学の試験が理解度の確認に役立っているかどうかの考察は敢えてしない。)
しかし、必要のない試験というのはよく存在するものである。
そういえば私が最近申し込んだ記憶のあるTOEICの試験なども、それに当たる理由は存在しない。
ではなぜTOEICを私が申し込んだのかというと、その目的は試験そのものではなく、申し込むことで自分のやる気を促すことである。
(ここで、その目的が果たせたのかどうかは問題ではない。)
また、私が試験を受ける必要を感じるような不安や心配事も存在しない。

これで私が試験を受ける必要性は何一つ無いようなので、私は本日のTOEICを辞退する考えをここで表明しておきたい。

この結論を書きたいが為に長々と書く羽目になってしまったが、もし上記の中で論理破綻などを見つけたなら、是非指摘して頂きたいです。しかし、それによって本日のTOEICを受けることになるとは考え難いです。
では、グッドバイ