クマの寝床

かつて敗者だった人と、これから敗者となる人に捧ぐ

猫顏の女の子と懇意になるため猫の生態を調べてみた

先日合コンをした。
合コンの話はここでは割愛させて頂くが、そこで出会った女の子がとても可愛く、なおかつその娘の雰囲気が非常に僕と近いような気がしたため、僕は彼女に惹かれた。
一度きりのご縁に終わらせたくなかった僕は、今度は二人で会えるように連絡を続けようとしたのだが、ここである問題が生じた。
彼女が猫のような性格なのだ。

なんとか次の約束にこぎつけたい僕は、対女の子特有のコミュニケーションを意識して相手の好感度をジリジリと上げていこうと目論んでいたのだが、僕が送ったメッセージに対する肝心の返信がなかなか来ない。
時間にして約6時間後にやっと返信が来たと思うと、その後再び僕が送ったメッセージに対する返信はそのまた10時間後であった。

さすがに脈が無さ過ぎるだろうと思い、諦め気味に彼女との共通の知人に相談してみると、その娘が根っからの気まぐれでメッセージの返信も本当に遅いことを教えられた。

その言葉を聴いた時に、脈がまだ無いわけではなさそうだと気分を取り戻したとともに、彼女が「気まぐれ」であることに自分があまり驚いていないことに気付いた。というよりはむしろ、僕はそれを会った時から見抜いていたような気がしたのだ。
つまり、彼女の顔はとても猫に似ていたのだ。

この発見の後もメッセージのやり取りは続けたが、いかんせん返事が遅く、会話は盛り上がろうにも長すぎる時間の隔たりによってなかなか弾まず、彼女の意識は全くこちらに向いていないように思われたが、思い切って二人での約束を提案したところ、あっさりとオッケーをもらった。

二人での約束というものは通常ハードルが高いもので、今までそれが決まったとなればひとまず喜び、次に自分を褒め讃えていた僕であるが、今回はあまりに実感がなかったため喜びさえも起こらなかった。これが「猫」かと、猫好きではあるが猫を飼ったことのない僕はこれからの成り行きを全く想像できずにいた。

ともあれ約束は無事取り付けられた。
二人で会うところまでこじつけることが出来たので、次回は経験上そう低くない確率で急接近できるだろうと思うのだが、相手が「猫」ではそれもあまり自信が無い。
どうしたものかとこの一週間は常に頭の片隅でこれについて考えていたのだが、先日何もすることがなく暇でふと立ち寄った書店で小説を物色していると、小説コーナーの向かい側に新書コーナーがあった。
僕は新書はあまり読まないのだけど、気掛かりなタイトルの新書を目の隅に捉えた。
ここで大変申し訳ないのだがその新書のタイトルは忘れてしまったのだが、だいたいは「猫の習性」というようなものだったと思う。

近々相見える「猫」、気まぐれで理解不能であるあの「猫」を少しでも知りたいと、僕は恐る恐る本を手に取りページをめくった。

その本はまさに僕にぴったりの内容で、目次の中から僕は「モテるオス猫とは」の文字を見つけ出し、すぐさまそこを開いた。

そこに書かれるには、まず、モテるオス猫はとにかく体格が大きいらしい。
なるほど、メス猫は体格の大きなパートナーを求めるらしい。そこで僕はというと身長は172
cmと決して大きくはない体格で、敢えて自分を援護するならば中高の部活動で鍛えた名残りから肩幅と胸板が普通より逞ましいぐらいだろうか。
いや、負け惜しみはよそう。僕は猫の世界ではモテることは出来なさそうだ。猫の世界での「体格」とは即ち生きていく「強さ」であり、人間にもその「体格」が当てはまるとは限らないだろうと思いつつも、僕は次ページを繰った。
そこに書かれているには、体格の大きくないオス猫にもチャンスがあるらしく、それはメス猫がいつも相手をしているオス猫が別のメス猫に目移りしている時、らしい。
なるほど、これは人間にも当てはまりそうだ。
つまり、(猫世界における)体格の劣る男は、巨漢のおこぼれを狙うほかないのだ。
しかしよくよく考えてみると人間界はまだ楽なものである。
人間界のような多様な価値観の渦巻く中では、女性の求める要素もてんでバラバラであり、男はその中で自分の秀でたものを磨けば良い。つまり、努力は強いられるものの大多数に希望のある世界である。
しかし、猫の世界ではそして貧弱な体を持って生まれたものは、弱者としてたまに強者のおこぼれにあずかる他ないのだ。

以上はおそらくかなり極論な文章になってしまっただろう。新書を数ページをチラ見しただけで猫の世界を全て知ったように語ると世界中の猫からバッシングが飛んできそうなのでこれ以上はよすことにしようと思うが、それでも思うことは、人類の発展によって努力が大きな意味を成しうる社会と変化したということだ。
知性をこれまで肯定出来ずにいた僕であるが、これから社会が多様化するとともに混沌となって醜いものも増えて行ったとしても、これは人類の美徳であるといえるだろうと思う。

人類万歳!!