クマの寝床

かつて敗者だった人と、これから敗者となる人に捧ぐ

理屈と孤立

人の過ちを指摘したがる人がいるけど、僕はできない。
どの過ちも、その環境に限定されただと思うし、別の環境・別の解釈によってはその逆にもなり得る。
なんらかのコミュニティーに属す人間なら、その中でのルールは守るべきかもしれないが、その環境下でのそのルールの重要性を理解しないと納得できない。それが理解できるものであれば僕は従うだろう。しかし多くのルールは、「伝統」と名がついてその行為の意味まで理解が及んでおらずその心は置き去りになっていたり、また、その環境を取り締まる人間の好みによっていたりと、到底理解できるものではない。
  だからわたしは、毎日どの環境でもルールを守ってはいるが、自分では全く納得できていない。そして、納得できていないことを後輩に教えるだなんて、到底できないのだ。
しかし当たり前ではあるが、組織として考えるとそのような先輩は貴重で必要な存在である。組織内の関係性を円滑にし、その共通の目標を達成するためには後輩には絶対にそのルールを叩き込まなければならないからだ。
わたしがこれからどのようにして後輩と接するのかはわからないが、わたしはやはりルールを教え込む人間にはなれないだろう。そう考えると、わたしという人間には到底「組織」というものが向いておらなさそうだ。つまり、個人としてこれからさき生きていくことになるだろう。想像しただけで孤独な人生であるが、わたしはそのようにしか生きていけない気がする。