クマの寝床

かつて敗者だった人と、これから敗者となる人に捧ぐ

「サカナクション」に関する私なりの考察をまとめてみた

サカナクション」について

 

 私は音楽を聴くことが非常に好きですが、それは親からの影響が大きく、その結果現代の流行りの音楽だけでなく、親が若かった頃に流行った曲やクラシック音楽を聴くなど、音楽の趣味の幅が広いことを自負しています。

そんな私が現在気になっているバンドは「サカナクション」なのですが、彼らの演奏は電子音を多用するスタイルで、それまでは私はあまり電子音の演奏があまり趣味に合わないと感じていたのですが、彼らの演奏においてはなぜか非常に心地よく感じ、このバンドは他のバンドには無い「何か」があると強く感じたため、今回の機会にその「何か」も含めて「サカナクション」について考察と思います。

 

まず、サカナクションの概要は以下のとおりです。

 

“2005年に活動を開始し、2007年にメジャーデビュー。日本の文学性を巧みに内包させる歌詞やフォーキーなメロディ、ロックバンドフォーマットからクラブミュージックアプローチまでこなす変容性。様々な表現方法を持つ5人組のバンドである。(中略)

音楽的な評価も受けながら「ミュージシャンの在り方」そのものを先進的にとらえて表現し続けるその姿勢は、新世代のイノベーターとして急速に支持を獲得している。”

                                                                                ― 公式HPより

 

この文脈から察するに只者ではない感が半端ではない気がしますが、やはり音楽性を理解するためには文章で伝わることは限りなく少ないと思うので、私が直感的に感じるサカナクションと他のバンドの違いを、以下に挙げました。

 

・「淡々とした歌い方」

・「バンドであるにも関わらず多用する電子音」

・「ほとんどの曲において一人称が『僕』」

 

まず一つ目に「淡々とした歌い方」と書きましたが、私が実際にこのサカナクションのボーカルである山口一郎の歌い方が実に淡々としている」という事実に気付いたのは、サカナクションを聴くようになってから暫くたってからで、サカナクションが好きであると言った僕に対しての友人の、

 

サカナクションはいいけど、ボーカルの人はなんか鬱っぽくない?」

 

という一言がきっかけです。

 

「鬱っぽい」という言い回しは失礼千万ではありますが、確かに無機質と思わせるような淡々としたその歌い方はどこか都会の人々の冷めた心を感じさせるもので、鬱とも表現されてもおかしくはない気もします。

 

しかしその冷めた歌が表現する悲しみと同時にどこか知性と品位を感じさせるのは、ボーカルの山口一郎の人間性が反映した結果であると考えられます。

 

    調べたところ、実際山口は非常に文学に造詣が深く俳句や詩を愛読しており(俳人では寺山修司種田山頭火を、詩人では吉本隆明石原吉郎を好む)、音楽を始めるきっかけは、文学であると公言していることから、その文学から得たインテリジェンスを音楽に存分に生かしていることがわかります。

 

私はさまざまな歌手を知っていますが、彼のような教養のある歌手は非常に稀有な存在であると思うし、教養に溢れる人間ほど悲しみを持ち、それ故にこころは冷めたものとなってしまうのは世の通例であるといえるのではないでしょうか。

(自分はそんな方々とはおよそ対極に位置する気がしてならないので、このままではいけないなと強く刺激される次第ですww)

 

とにかく、このインテリジェンスこそがサカナクションの音楽性の根幹を大きく担っているのは間違いないでしょう。

 

 次に、「バンドであるにも関わらず多用する電子音」に私は違和感があった。というのは、私の認識では電子音楽をするのにバンドは必要ではないと思っているからだ。疑問に思い調べてみると、山口が次のように語っているのを発見した。

 

「人間の作るグルーブは人間のコンピュータではなかなか再現できないため、弾く人間の個性やノリに左右され、それこそがバンドの良さである」

 

    この言葉から考えるに、人間の演奏による「アナログ」と電子音楽による「デジタル」の一見相対する存在であるかのように思える二つをサカナクションが見事に調和させることで、楽曲が他に例を見ないようなものに仕上がるのだろう。そしてそれによって、それまで二分されていた「アナログ派」と「デジタル派」の両方からの支持を受けることができ、現在のような人気を見事に獲得したのだろう。

なんとなくですが、故スティーブジョブズの言葉を思い出しましたね。

 

文系と理系の交差点に立てる人にこそ大きな価値がある

 

なるほど、人は理系・文系や印象派・象徴派、(男性や女性も?)など分類することをますが、どの業界、ジャンルにおいても常識から抜きん出る革命児はそれらを統合する存在なのですね!

(おこがましいながらもこの貧弱な胸を張らせていただくと、私が理系に進みながらも文系分野を苦労して学ぼうとするのには、好奇心以外にこのジョブズの言葉を意識しているからと言っても過言ではありません!!まあ、理系と文系を区別した言い回しを使っている時点で革命児までの道のりは私にはかなり遠そうですが 笑)

 

話はだいぶ逸れた気がしますが、「デジタル」と「アナログ」を分けて考えなかったことこそが、電子音楽にやや抵抗のある私が心地よくサカナクションの曲を聴くことが出来る所以でしょう。

 

三つ目は、「ほとんどの曲において一人称が『僕』」ことについてでありますが、これは山口が歌詞中において表現する物事(夢や悲しみ等)に対して彼の精神が少年さながらであることを表しており、これはつまりは大人になった今でも現状に甘んじることなく前へ進み続けたいという思いの表れであると考えられます。大学生である私も現状や将来に対して漠然とした不安を常々に抱いておりますが、だからこそ私のような若者にとって山口のような人生に対する心構えが共感と称賛と尊敬の的であり、サカナクションの人気が爆発している原因なのだろうと考えられます。

 

以上のことを考えると、サカナクションは少年の精神から文学のインテリジェンスなど、様々な魅力を兼ね備えており、その多様さは音楽を聴く人間の多様さをも生み出し、多くの世代から支持されるバンドであり続けるでしょう。そして、私も一人のファンとして、これからのサカナクションの更なる躍進を見守り続けていきたいと思います。

p.s.  サカナクションの良さを語り合う友を探しています 笑